日本人が試験のためにしか英語をやらない理由


「日本人の英語」と「試験」というものは
切っても切り離せない関係にあります。


幼児期から小学校くらいまでの時期には、
一部の子供たちは純粋に英語に触れることもありますが、
この段階でさえ、英検5級、4級、3級という試験を一つのゴールに据えて取り組んでいる場合が多々あります。


中学、高校になると、
英語は完全に学校の教科、入試の試験科目という位置付けになります。


大半の生徒たちは、
それ以外の目的で英語をやる必要性も感じないですし、
英語がコミュニケーションや情報収集のツールになりえるという実感さえなかったりします。


学校や塾、予備校の先生も含めて、
周りにそのようなことを教えてくれる人もいないし、
英語を使っている日本人を間近で見ることもほとんどありません。


ほとんどの生徒たちが、
「英語はただの教科、入試科目である」という認識しか持っていないのは、
僕が中高生だった20年前も今も全く同じという印象です。


日本人の中で、英語を当たり前のように使える人があまりいない、
あるいは、いたとしても、英語を使っている姿を多くの人に見せている人がほとんどいない、
というのが、この状況から日本が脱せない大きな原因の一つだと思います。
英語教育者として、この状況は変えていかなければいけないと切に感じています。


そして、このようなメンタリティーのまま大学生、社会人になると、
海外に住んだり、留学したりした経験がある一部の人を除き、
英語というのは、相変わらず試験科目のままということになります。


その結果、
「英語をやる」=「試験対策をする」という発想にしかならないのです。


これは誰が悪いとかいうことではなく、
生まれ育った環境や学校教育、社会の構造がそうさせているのです。


逆にそういう発想になっていない人は、
海外経験や外国人とコミュニケーションした経験が豊富で、
学生時代から植え付けられてきた意識から脱却している人だったりします。


僕自身も大学3年生のときに1か月アメリカでホームステイをするまでは、
「英語というのは、試験科目である」と完全に思い込んでました。


僕は中高生のときから、学校の教科や入試の科目としても英語が好きで、
定期試験や模試などで高得点を取ることに「やりがい」を感じていました。


昨今、多くの学生や社会人の方々がTOEICのスコアに一喜一憂しているのと全く同じで、
試験結果にドキドキしたり、喜んだり、落ち込んだり、リベンジを誓ったりしていたわけです。
だから、実は僕もそのような気持ちはよくわかります。


大学に入ってからも、英検準1級合格を目指して、
最初の2年間はひたすら英検の問題集をやっていました。


あの時の僕は、自分なりに真面目に英語の勉強をしているつもりでした。
高校生のときにやっていた勉強法を用いて、英検準1級対策をし、
それが正しいやり方だと信じて疑いもしませんでした。


「英語をやる」=「試験対策をする」という方程式しか頭の中に存在しなかったので、
とりあえず知っているやり方で努力するしかなかったんです。


この伝統的なやり方で2年間努力を続けたところ、英検準1級の合格は全く見えてきませんでした。
今思えば、あのやり方では、英語力もほとんど上がるはずもなかったので、
全く不思議ではありません。


努力の空回りというヤツです。


大学の最初の2年間、僕は発音も全くやりませんでしたし、
音読やシャドーイングなど、英語を声に出す練習もゼロでした。


人生で最初に発音をやったのは、ホームステイに行ったときです。
同じ地域に住むホストマザー(プロの先生ではない)による英語クラスが毎日午前中にあり、
発音もちょっとだけやりました。


そこで、LとRは違くて、日本語の「ラ」行では代用できないことを初めて知りました。
VとかTHの口の動きなど、中学、高校、大学では一度も習ったことがなかったので、
すごく新鮮だったことを覚えています。


この1か月のホームステイを経験し、日本に帰ってきた後、
僕の英語学習のやり方は完全に変わりました。


準1級の問題集を解くだけだったときには、
僕はただ「試験のためだけに」英語の勉強をしていました。


それが、帰国後は、
「英語を使えるようになるため」
「ネイティブの英語を聞けて、読めるようになるため」

という目的に変わったのです。


具体的に何をやったかは、
提携サイトの以下の記事でシェアしています。

「自己紹介編パート2」


応援よろしくお願いいたします m(__)m
 ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

英語 ブログランキングへ


スポンサーサイト

コメント


管理者のみに表示

トラックバック